プロフィール

永田英晃

名古屋大学卒業。在学中より複数の科目指導に従事し、大手予備校にて医系講座、東大講座、国家公務員総合職講座など常に最高レベルの担当を歴任する。様々な啓発技術を融合したオリジナル指導を実践し、最大手予備校模試での全国1位や、都内トップ高校での学年1位などを輩出。東京大学や京都大学をはじめ多数の生徒を合格へと導く。その後、首都圏有名高校にて東京大学進学にむけての指導講習を実施。現在は主に公務員試験対策、就職試験対策、教員採用試験対策、キャリアコンサルティング、教員向け研修、社内人材研修の講師を務める。首都圏を中心に北海道、北陸、中部、関西など日本全国の大学にて講座を受け持っている(登壇実績約70大学)。また、数多くの教育事業の立ち上げに参画し、ゼロベースから軌道に乗せるまでを総合的に支援。

きめる!公務員試験 社会科学

 

「きめる!公務員試験 社会科学」

Gakken

監修:永田英晃

講座講演依頼やお問い合わせはこちらにお願いいたします。

各種教育機関、制作会社、運営会社からのご依頼により、講座運営、講義、講演、指導、教材作成、執筆などの業務を請け負っております。

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ご挨拶

永田英晃

今、世界は人生百年の時代に突入しています。

長い人生の中で、その土台を担うのは教育です。雀百まで踊り忘れず。若き日に切磋琢磨したことは、生涯を貫く最高にして最大の財産となります。さて、旧来の教育は、人生の大河に竿をさし、流れるままに身を委ねながらも座礁することなく下流まで辿り着く術を教えました。しかし、新しい時代の教育は、飛行機に乗って大空を縦横無尽に飛び回るものでなくてはなりません。それだけ世の中の技術は進化し、生きて行く上での選択肢も格段に増えたのです。

 

今後どのような人生を歩むにしても、自らの手でつかみ取る力が必要となります。また、自らつかみ取ってこそ生きる意義が生まれます。いかなる困難にぶち当たろうとも、幾度悩み苦しむことがあろうとも、真摯に正面から向き合い、中央突破する力が何よりも重要です。本気になって取り組むことで真の信頼を構築することができるのです。何事にも前向きにチャレンジし、時には強引に、時には柔軟に対応する力を育んでいきたいと存じます。

 

現在、世の中では、書物だけの座学ではなく、実際に行動する中で主体的に培う「生きた学び」が重視されております。かつて明の学者・王陽明は、「知」と「行」は切り離すことができない、と言う知行合一を説きました。人間は先天的に、自らの行動から学びとる力を身に付けています。その力に蓋をして、上から押し付けるような教育は本末転倒です。

 

特に現代は、技術革新によって環境が目まぐるしく変化しています。過去の延長線上、過去の積み重ねの上に未来がないと言う時代においては、先人の営みをknowledgeとして蓄えたところで、それは無用の長物となります。新しい時代には、ゼロからイチを生み出すinnovationの力が何よりもの武器です。無から有を生み出し、未だ来たらぬ次元を対象として、自らの内面から泉のごとく湧き出るintelligenceこそが、唯一無二の突破口なのです。

 

長い日本の歴史の中で、次の未来が最も輝く時代であるように、そしてまた、その輝きが混沌たる世界をあまねく照らす道標となるように、明鏡止水の精神で新しい教育を実践していきたいと思っております。

 

講座実績

【講座設計例】

・難関大学受験対策(総合型選抜、数学、国語、小論文、公民系全般、日本史、英語)

・国家総合職試験対策

・キャリア支援(就職転職含む)(キャリアデザイン概論、業種・職種の研究分析、自己分析、エントリーシート、面接、プレゼン・話し方、SPI)、各種企業人材研修

・地方上級(特別区、政令指定都市含む)公務員試験対策(社会科学、数的処理、論文、人物試験、日本史、文章理解)、教員採用試験対策

 

東京大学・慶應義塾大学・国際基督教大学・上智大学・明治大学・青山学院大学・法政大学・中央大学・津田塾大学・日本女子大学など、日本全国約70大学で講座を担当

 

※現在、会場(講堂、講義室など)実施の新規ご依頼は、キャリアデザイン概論、エントリーシート、グループディスカッション・集団討論、面接、プレゼン・話し方、数的処理・SPI 非言語、論文のみ承っております。執筆や映像制作はその他もご相談に応じます。

 

<注意事項>

いずれも受講生の一生を支える本質的実力の養成講座をご提供しております。

一方で、「パターンを覚えればいい」「ヤマ当てし当たればラッキー」「その場をどう凌ぐか」「実力を伴わない上辺だけの点数稼ぎ」といった、一時的な宣伝集客のみを狙う方向(いわゆる「受験屋」)は、採点者を騙す詐欺教唆であり日本の将来にとって極めて有害であると考えております。

 

【業務提携実績】

講座運営、講義、講演、指導、教材作成、執筆などの業務を請け負います。

大学生・社会人対象

時事通信出版局、学研、ヒューマンアカデミー、サポートシステム、行知学園

高校生対象

洋々、河合塾、ベネッセ、早稲田ゼミナール、医系専門予備校メディカルラボ、進路教育研究所、J PREP 


「未来を創る先見教育」

永田英晃

新教育で求められる力

日本の働き方が大きく変わります。基礎知識は前提条件とし、その上で、実際に自身の意見を論理的に述べる力、様々な事態にも瞬時に適切に対応する能力、多様な視点・価値観の中から協力して建設的な結論を出していく力、自分の考えをわかりやすく魅力的に伝え、他者を説得する力の4つの応用力が主流となります。

 

過去志向から未来志向へ

日本がまだ欧米から後れをとっていた時代、前を走る先進国の文明を吸収するため、日本は、知識重視で設計されました。

 

しかし今や日本は世界をリードする国家となりました。先頭を走る者には、現在の情況を把握し、適切に行動する力が求められます。当然、以前とは求められる力が異なり、目指す方向も変わってきます。

 

こうして欧米を追いかけ過去に追従する知識重視から、先駆者として未来を切り拓く能力重視へと変化したのです。

 

大学の役割の変化

ハーバード大学のMBAが事実上ビジネス経営者養成機関になっているように、世界的にも「大学の役割」は大きく変わっています。

 

かつて大学は最高学府と呼ばれ、一部の限られた人だけが進む学問の場でした。しかし大学全入時代を迎え、単に学問を追究するだけではなく、社会に出て活躍するための土台育成が必要とされてきました。

 

大学の役割が変わった以上、その入試段階においても選抜基準が変わります。大学受験は勉強だけできれば良い、と言う時代から、人間としての総合的素養を測る試験に変わったのです。

 

今まで「大学までの勉強は社会に出てから役に立たない」などと皮肉を言われてきましたが、これからは「学んだことが社会に出てから活きる」学社一体型の教育が施されます。若い頃に培った力がダイレクトにその後の人生に役立つことになります。

 

人は生まれながらにして優秀

犬や猫や猿に言語を教え、自発的にコミュニケーションをとらせたり、未来を計画して物事を判断させたりすることはできません。

 

しかし、人間は他の動物にはできないような能力を沢山持っています。他の動物と比較した場合、人間は全員が天才であり優秀であるのです。

そして、全ての人間はその自己の中に凄まじい才能を秘めています。その才能を開花させ、十二分に活かされる行動をとっていくことが「よく生きる」と言うことなのです。

 

優秀の阻害要素

しかし、本来、優秀であるはずの人間も、環境によってその能力を阻害されてしまいます。

正確に言えば、環境が直接阻害するのではなく、環境が原因で自信を無くしてしまったり、落ち込んでしまったり、過度に不安や焦りを感じてしまったりして、自己の能力の無さを実感してしまうことで、本当に能力が低下してしまうのです。

 

人間は、自らの能力を自在にコントロールすることができ、封鎖してしまうことすらも可能なのです。

能力を低下させることで周囲からの期待を薄めることができ、「自分はダメな人間なんだ」と納得することで、一時的な解放を得ることができますが、その末路はどんどんダメな人間になっていってしまいます。

 

自分を取り戻せば、人は誰でも優秀

反対に、そのような環境から身を遠ざけ、自己の才能を阻害する要因をカットすれば、人は誰でも優秀のままです。

 

天才とは、特別な環境を与えて作り出されるものではありません。寧ろ、才能を阻害するものを極力排除して、人が誰でも持ち合わせている先天的な才能を大切にした結果、自然と生み出されるものなのです。

 

劣等感の可視化

人は誰もが劣等感を抱き、苦しんでいます。この劣等感とは「他者と比べて自分が劣っている」と言ったものではなく、「理想の自分」と比べて「現実の自分は劣っている」と言うものです。

 「理想の自分」と言うのは、パーフェクトであり、「こうありたい」と思う自分像ですが、実際にはそうなれないから「理想」であり、現実の自分は異なります。

 

漠然と「理想」と思っているから、現実との差が物凄く開いているように感じてしまいます。「理想の自分」を思い描いて終わってしまうのですが、「現実の自分」と照らし合わせて、「何が足りないのか」を具体的にピックアップしてみることが大切です。

 

「そうなれるはずなのになれていない」と思うから劣等感を抱くのであり、もし「足りないもの」が現実的に不可能なものであれば、そもそも「理想」は「仮想」だったと修正できるし、「足りないもの」が現実的に手に入るものであれば、それを課題に生きる糧にしていけば良いのです。

 

そして、「足りないもの」はピックアップしてみると自分が感じていたよりもずっとシンプルであるはずです。

 

「学ぶ」前に大切なこと

世の中には、サッカーが好きな子とサッカーが嫌いな子がいます。

 

サッカーが好きな子は、サッカー選手の魅力、試合の興奮を知って自発的にサッカーをやろうとします。一方、嫌いな子は、学校の体育の時間などで無理矢理サッカーをやらされ、魅力を感じずに渋々サッカーをやります。

 

「学ぶ」と言う行為は、前者でなくてはいけません。

すなはち、「学ぶ」魅力や興奮、面白さを知った上で自発的に「学ぶ」ことが大切です。

 

自分の内側の声にする

「学ぶ」と言うことは、食料品を冷蔵庫に入れるような「作業」ではありません。食料品に例えるならば、食べてしまうのです。食べて自分の血や肉にし、学んだことを自分自身にすることです。

 

自己の外に存在するものに力点を置くのではなく、あくまでも自分自身に重心を据えてください。自分自身が「学び」と一体になるのです。

 

「優秀な自己」で百戦殆うからず

自己が不完全な状態だと、不安や焦りが生じ、失敗を重ねてしまいます。闇雲に突っ走る前に、自己の内面を高め、「優秀な自分」を取り戻しましょう。自信を持って前に進むことができ、結果として、充実した最高の人生を歩むことができます。

 

「自分は優秀である」と言う自信・誇りを持つことができれば、今後、如何なる障害や困難に出会おうとも、寧ろその難題を楽しむように、容易に乗り越えて行くことができるはずです。

 

長期的教育計画

多くの人が、「勉強=中学でやったこと」のように勘違いして、「成長するに従い、難しくなる」と感じていますが、それは大きな間違いです。

中学では、基礎事項の定着を徹底されるため、「作業的な勉強」が中心となる「特殊な時期」です。

中学の時期には自我が生まれるため、中学の勉強の仕方を、絶対的な「自分の勉強の仕方」と確立してしまう人が多いのですが、これは後々、必ず挫折します。

 

その最たるものが、「完璧主義」と「本質主義」と言う違いです。

中学では、宿題や課題などを「完璧」にこなすことが良いとされますが、高校以降は、基本的に「完璧」など不可能です。そもそも学問領域自体に限界が存在しないのです。

 

では、どうすれば良いか、と言うと、各事象の中で、「大切なことは何か」を考え、そこを理解する(後は捨てる)ことです。

例えば、関連する10個の事象があったとすると、10個とも完璧に理解するのではなく、10個の中の「大切な2個」を抽出して理解するのです。

 

よく、「量が増えるから大変だ」と言う人がいますが、「大切な2個」を絞ることができれば、量は大したことないのです。

大切なのは、効率良く「本質」を見抜くことです。これができれば、どんな困難も楽々突破できます。

 

さて、大学に入ったら、またまた高校までの「受動的な勉強」を捨てなければいけません。

高校までは「問題」が与えられ、答えを導くことをやらされてきますが、大学からは、全くの真っ白の用紙に自分で「問題」を発見し、自分で解決していかなければなりません。

 

今までは、「教えてもらったことを理解する」と言う「外から内」のベクトルが中心でしたが、大学からは、「自分の頭で考えて行動する」と言う「内から外」のベクトルが中心となります。